昭和四十五年一月三十一日 夜の御理解
今月もおかげの中に終わらせて頂きました。このひと月程、長い月に感じたことはなかったように思います。随分いろいろなことがありました。その中でもやっぱり一番、まあ修業であったことはサエ子さんのお国替だったと思います。本当に、あの、なんちゅうでしょうか。
この頃、敬親会の時でしたが、あそこで皆んな座ってから、御神酒が出てからでしたが、私が一番中心に、横に年の順からというて合楽町のおばあちゃんが座っとる。こちらの端に、横に北川さんが座っとるというふうでございましたが。
なかなか、折り合いの良いおばあちゃんですけれどもね、あの北川のおばあちゃんち。もうしきりに私のそばに寄ってから、そのサエ子さんのことをですね、怪我をされた時にマイクで呼んだこと、それからむつやさんの田代さんの娘さんじゃったろうか、石井さんの娘さんじゃったろうかって言うたこと、だいたい、どっちであんなさったですか。どげなふうに<なりなさったですか。>
もう、しきりに言われる。私は御神酒がまず-くなってしもうて、それこそ相手は私をどうって返事もしようごとなかったとゆうこと。あとで、皆が済んだ後の御理解を、皆さん熱心に聞いて下さいましてね。いろいろ賑あわれた後に、また私の話を二十、三十分間させてもらったなかに話したことでしたけれど、本当に自分の身を刻まれるような思いがしてから「実は、北川さん返事をしなかったですよ。」と、言うてからお話し〔を〕したことでしたけれどね。
私はそのことについて、一番親身に感じ有り難かったことは、豊美がそのことを聞いて家内宛に手紙をよこしております。それに、今年(こんねん)も正月から、合楽は修業の年になりそうですね。ということを言うてきとるんです。私、それを聞いた時に、親身だなあと思いましたですね。そのことで親先生を始め、例えば家族の者がどんな修業をしようだろうか、ということなんですよね。
それは目には見えない、聞こえてはこない。いわば、目に見えない姿。または、耳には実際聞こえてこないけども、その声をですね、もうそれこそいやという程、もう御本部におって聞いておる姿なんですよね。私は、それを本当に有り難い親身なものに感じたんですがそういうようなことを中心に、同時にひと月の寒修業に入り元旦祭からこっちひと月間、もう今月程本当に長い月に感じたことはなかったんですがね。
今晩は、例によって只今から信話会でございますから、まあ、ひと月の様々なこと、皆さんの信話もお聞きしたい。また、私もお話ししたいこともございますから、すぐ信話会に移りたいと思います。どうぞ。